Date:
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Date: 2009年04月23日
定年について考える。
最近、定時に帰れているので
夜、自分の時間を持てる幸せ。
もうすぐ今の会社に転職して、1年がたつ。
最初は、仕事に慣れるのに必死で。
おもしろい、とか、やりがいとか・・・
とても感じる余裕はなかったし、
将来そう思える自信も全くなかった。
でも、1年たって
やっと美容に関するモロモロも、少し理解しはじめて
ちょっとずつだけど、好奇心もくすぐられ、
プライベートでも自分から、その方面にもアンテナを張るようになってきた。
それでも、やっぱり
食べることに対する情熱に比べると
まだまだだけどね(笑)。
自分が得意とする分野も、うっす~ら見えてきた気がする。
一人ひとり、速度は違うけれど
必ず、足を一歩一歩踏み出せば
前に進めるもんだ。
たぶん、これまでの経験上
こういう気持ちになって、一瞬「ふっきれた~!」とか
「壁、乗り越えた~」とか
思った後には必ず、
遠からず、新たな“乗り越えるべき壁”が
突如、霧の中から現れるんだよな。
年を重ねて、何がよかったかって
人生は、そういうもんなんだって
その繰り返しなんだ、って
なんとなく、納得できるようになってきたこと。
若いときは、何も考えずに
もがいたり、苦しんだり、むやみやたらにジタバタする。
今は、「たぶん、次の山がまた来るんだろうな」と予見しながらも
悟りきることなど、やっぱりできずに
もがいたり、苦しんだり、むやみやたらにジタバタするのだ。
この“ジタバタ”するっていう行為が、すごく大事なトコで。
要領よく仕事をするようになったら、
自分のウリである“アイデア”が錆び付きそうな気がしてならないのだ。
“ジタバタ”するって、すごくエネルギーのいること。
自分の全精力を、傾けなきゃいけない。
これが悟りきったまま、
ジタバタしても無駄だと、動かなくなったら
本当の仕事なんて、できなくなっちゃうんじゃないかな。
(今も実は、本当の仕事ができてる自信は全然ないけど。)
そんときは、定年時か、もしくは
妥協した仕事しかできてないとき。
夜、自分の時間を持てる幸せ。
もうすぐ今の会社に転職して、1年がたつ。
最初は、仕事に慣れるのに必死で。
おもしろい、とか、やりがいとか・・・
とても感じる余裕はなかったし、
将来そう思える自信も全くなかった。
でも、1年たって
やっと美容に関するモロモロも、少し理解しはじめて
ちょっとずつだけど、好奇心もくすぐられ、
プライベートでも自分から、その方面にもアンテナを張るようになってきた。
それでも、やっぱり
食べることに対する情熱に比べると
まだまだだけどね(笑)。
自分が得意とする分野も、うっす~ら見えてきた気がする。
一人ひとり、速度は違うけれど
必ず、足を一歩一歩踏み出せば
前に進めるもんだ。
たぶん、これまでの経験上
こういう気持ちになって、一瞬「ふっきれた~!」とか
「壁、乗り越えた~」とか
思った後には必ず、
遠からず、新たな“乗り越えるべき壁”が
突如、霧の中から現れるんだよな。
年を重ねて、何がよかったかって
人生は、そういうもんなんだって
その繰り返しなんだ、って
なんとなく、納得できるようになってきたこと。
若いときは、何も考えずに
もがいたり、苦しんだり、むやみやたらにジタバタする。
今は、「たぶん、次の山がまた来るんだろうな」と予見しながらも
悟りきることなど、やっぱりできずに
もがいたり、苦しんだり、むやみやたらにジタバタするのだ。
この“ジタバタ”するっていう行為が、すごく大事なトコで。
要領よく仕事をするようになったら、
自分のウリである“アイデア”が錆び付きそうな気がしてならないのだ。
“ジタバタ”するって、すごくエネルギーのいること。
自分の全精力を、傾けなきゃいけない。
これが悟りきったまま、
ジタバタしても無駄だと、動かなくなったら
本当の仕事なんて、できなくなっちゃうんじゃないかな。
(今も実は、本当の仕事ができてる自信は全然ないけど。)
そんときは、定年時か、もしくは
妥協した仕事しかできてないとき。
Date: 2009年04月22日
重盛の人形焼で有名な。
なあんだ、という話である。
大学生の頃から、「向田邦子」という人が好きで
彼女が書いたエッセイや、小説なんかだけじゃなく、
料理上手な彼女がよく作ったレシピや、行きつけのお店なんかを紹介する
ムック本なんかも、好んで集めてました。
彼女が愛した東京の街、として紹介されていたのが
『人形町』
すぐ近くに水天宮があり、
昔ながらの老舗のお店があり、
私風情ではとても敷居が高くて入れないような料亭があり、
お洒落な雰囲気のバーがあり、
いつの間にか常連になってしまった、旨いインドカレーの店があり、
常に行列の某有名・たい焼き屋さんがあり・・・
いろんな顔を持つ街。
その地で、明治から店を構える「重盛永信堂」といえば、元祖・人形焼が有名。
(▼重盛栄信堂・パンフレットより。他同じ。)

向田さんも好きだったという“ゼイタク煎餅”を買ってみた。
懐かしい風味。素朴だけど、飽きのこない味。

ずっと行きたい!と思っていた店に来れた満足感。
・・・と思いきや、なんと!!
えっ、龍ヶ崎にあったの!?
そういえば、昔、駅の西口(6国道路側)近くで、古めかしい煎餅屋さんを見た気がする。。。
老舗のお店がなぜ、佐貫に??
そこらへんのいきさつに、何かおもしろいエピソードの匂いが、プンプンします。
大学生の頃から、「向田邦子」という人が好きで
彼女が書いたエッセイや、小説なんかだけじゃなく、
料理上手な彼女がよく作ったレシピや、行きつけのお店なんかを紹介する
ムック本なんかも、好んで集めてました。
彼女が愛した東京の街、として紹介されていたのが
『人形町』
すぐ近くに水天宮があり、
昔ながらの老舗のお店があり、
私風情ではとても敷居が高くて入れないような料亭があり、
お洒落な雰囲気のバーがあり、
いつの間にか常連になってしまった、旨いインドカレーの店があり、
常に行列の某有名・たい焼き屋さんがあり・・・
いろんな顔を持つ街。
その地で、明治から店を構える「重盛永信堂」といえば、元祖・人形焼が有名。
(▼重盛栄信堂・パンフレットより。他同じ。)

向田さんも好きだったという“ゼイタク煎餅”を買ってみた。
懐かしい風味。素朴だけど、飽きのこない味。

ずっと行きたい!と思っていた店に来れた満足感。
・・・と思いきや、なんと!!

そういえば、昔、駅の西口(6国道路側)近くで、古めかしい煎餅屋さんを見た気がする。。。
老舗のお店がなぜ、佐貫に??
そこらへんのいきさつに、何かおもしろいエピソードの匂いが、プンプンします。
Date: 2009年04月20日
アイデア捻出法
モンモンとした1日。
仕事のアイデアが出てこない。
どうやってこの商品を、魅力的に打ち出せばいいのか。
その切り口が見つけられない。
回りの人に相談しても。
デザイナーに意見聞いても。
なんか、違うっ!
でも、何が違うか自分でも説明できない。
この感覚どまりが、今一番の私の弱点なんだ。
感覚から、理解・納得まで降りてこない。
感覚どまりだと、回りの人も説得できないし、
もちろん、自分自身も説得できない。
(つまり、自信が持てない。)
このまま真っ直ぐ帰っても、また明日同じ宿題を
会社に持って帰るだけだ!と思いつくまま
本屋を巡り、化粧品屋を巡り、食品売り場を巡る・・・。
足が痛くなって、根がつきて帰ることにした。
自転車で、思い切りペダルをこいでいた帰り道。
空白にしていた頭に、ふいっと探していた切り口が思い浮かんだ。
ほんっとに、フイッと。前後の予兆もなしに・・・。
一日中、モンモンと机にかじりついていたのはナンだったのか・・・。
悩むくらいなら、行動せよ。
その行動って、“単純に身体を動かす=運動”
そういう意味もこもってるのかもしれない。
でも、その前に“とことん悩む、考える”
という行為が、重要な準備運動となっているに違いない。
うほ~
なんか、すっきりした!
これから、アイデアまとめましょ。
仕事のアイデアが出てこない。
どうやってこの商品を、魅力的に打ち出せばいいのか。
その切り口が見つけられない。
回りの人に相談しても。
デザイナーに意見聞いても。
なんか、違うっ!
でも、何が違うか自分でも説明できない。
この感覚どまりが、今一番の私の弱点なんだ。
感覚から、理解・納得まで降りてこない。
感覚どまりだと、回りの人も説得できないし、
もちろん、自分自身も説得できない。
(つまり、自信が持てない。)
このまま真っ直ぐ帰っても、また明日同じ宿題を
会社に持って帰るだけだ!と思いつくまま
本屋を巡り、化粧品屋を巡り、食品売り場を巡る・・・。
足が痛くなって、根がつきて帰ることにした。
自転車で、思い切りペダルをこいでいた帰り道。
空白にしていた頭に、ふいっと探していた切り口が思い浮かんだ。
ほんっとに、フイッと。前後の予兆もなしに・・・。
一日中、モンモンと机にかじりついていたのはナンだったのか・・・。
悩むくらいなら、行動せよ。
その行動って、“単純に身体を動かす=運動”
そういう意味もこもってるのかもしれない。
でも、その前に“とことん悩む、考える”
という行為が、重要な準備運動となっているに違いない。
うほ~
なんか、すっきりした!
これから、アイデアまとめましょ。
Date: 2009年04月19日
幕末・明治維新期=興味深深。
なんと!
地モト・取手に、幕末の尊王攘夷に命を賭けた人がいた。

相楽総三・・・(取手市)椚木新田の出身。
薩摩藩の西郷・大久保や、土佐藩の板垣退助などの要人と親しく関わり、
鳥羽・伏見の戦いに導く重要な役割を果たした。
その後、相楽は西郷からの指示で赤報隊を結成し、(新政府を支持すれば)年貢半減を布告しながら
東山道を江戸にむけて進軍。
しかし、その途中、新政府は“年貢半減政策”は財政を圧迫すると判断。
赤報隊は偽官軍として、闇に葬ることに・・・。
ついに、下諏訪で捕らえられ、そのまま斬首されてしまう。
要は、新政府に裏切られてしまったわけ。
その後、孫・亀太郎を中心に、下諏訪の人々、多くの人々の尽力によって
処刑後60年経ったのち、赤報隊の偽官軍の汚名は晴らされることとなった。
もし、こうした人々の力がなければ、
私たちが彼らの存在を知ることもなかっただろう。
昨日、ちょうど劇場版『アンフェア』をテレビで見ていたので
ちょっと感覚がだぶってしまう。
権力と、裏切りと、抹殺。
そして歴史はつくられていく・・・みたいな(笑)
はぁ~。
事実が闇に葬られずにすんで、よかった。
でも、実際の歴史上、どれだけ事実とかけ離れたことが、
事実として受け継がれていったり、
権力によって汚名を被せられたり・・・があるんでしょうね。
長谷川伸の「相楽総三とその同志」
是非、読んでみようと思います。
地モト・取手に、幕末の尊王攘夷に命を賭けた人がいた。

相楽総三・・・(取手市)椚木新田の出身。
薩摩藩の西郷・大久保や、土佐藩の板垣退助などの要人と親しく関わり、
鳥羽・伏見の戦いに導く重要な役割を果たした。
その後、相楽は西郷からの指示で赤報隊を結成し、(新政府を支持すれば)年貢半減を布告しながら
東山道を江戸にむけて進軍。
しかし、その途中、新政府は“年貢半減政策”は財政を圧迫すると判断。
赤報隊は偽官軍として、闇に葬ることに・・・。
ついに、下諏訪で捕らえられ、そのまま斬首されてしまう。
要は、新政府に裏切られてしまったわけ。
その後、孫・亀太郎を中心に、下諏訪の人々、多くの人々の尽力によって
処刑後60年経ったのち、赤報隊の偽官軍の汚名は晴らされることとなった。
もし、こうした人々の力がなければ、
私たちが彼らの存在を知ることもなかっただろう。
昨日、ちょうど劇場版『アンフェア』をテレビで見ていたので
ちょっと感覚がだぶってしまう。
権力と、裏切りと、抹殺。
そして歴史はつくられていく・・・みたいな(笑)
はぁ~。
事実が闇に葬られずにすんで、よかった。
でも、実際の歴史上、どれだけ事実とかけ離れたことが、
事実として受け継がれていったり、
権力によって汚名を被せられたり・・・があるんでしょうね。
長谷川伸の「相楽総三とその同志」
是非、読んでみようと思います。